宮川路子の水素栄養療法

主治医が教えてくれない水素・栄養療法の話   うつ、がん、アンチエイジング

栄養療法を志した経緯 その2 父のがんと栄養療法

医師を志した理由 父のがん闘病と患者の家族としての思い 栄養療法への導き

私が医学への道を志したのは高校2年生のときです。

きっかけは父が働き盛りの52歳で腎臓がんになったことです。
父の闘病中、主治医の説明を母とともに毎回聞いていたのですが、17歳だった私はまったく理解することができず、強く不安を感じたのをよく覚えています。母も説明の全てをよく理解できていたわけではなかったようでした。

理由は医師と患者の絶対的な情報量の差です。後からこれを「情報の非対称性」と呼ぶことを知りました。

主治医は高名な教授でしたので、とてもお忙しく、海外出張も多かったため、易しく丁寧に説明をして頂く時間は取れなかったのだと思います。約束をキャンセルされたり、時間が遅れたりすることも多々ありましたが、患者の家族の立場はとても弱く、ただだまってすべてを受け入れることしかできませんでした。

ずいぶん後になって、教授ご自身が患者の家族の立場でいらしたことを知りました。海を越えての治療など、想像を絶する大変さだったと思います。多かった海外へのご出張の一部はご家族の治療の付き添いのためだったのかもしれません。当時、私たちにはそのようなご事情など知る由もないことでした。

その頃はまだセカンド・オピニオンというものもありませんでした。何があっても主治医にお願いするしかない、という状況だったのです。

医師と患者の圧倒的な立場の違いをひしひしと感じました。

人にとってもっとも大切な“命”に関する情報を理解することができないもどかしさ、頼りなさ、そして自分の非力さを感じて、私は医師になろうと決意したのです。

”患者の家族”としての、自分自身の心細い経験から、患者さんの不安を解消できるような医師になりたいと強く思いました。2歳上の姉がすでに医学部に入学していたことも非常に恵まれていたと思います。

姉の強力なサポートを受けながら“猛勉強”をして運良く医学部に進むことができました。

その姉はやはり父の病気がきっかけとなり、腎臓がんの治療ができる医師になりたいと、当時女性医師が1人もいなかった母校の泌尿器科の医局に入局したのです。姉は現在、スウェーデン・カロリンスカ大学病院の腹部腫瘍チームで泌尿器科専門医としてロボット手術に忙しい日々です。姉のブログはこちらをご覧ください。

父のがんの再発と劇的な回復

父のがんは原発の腎臓摘出手術後に一度影を潜めたかのように見えましたが、翌年すぐに再発(転移)しました。

はじめに腎臓がんが見つかったのは、咳と微熱が続き、精密検査のために呼吸器内科に入院したことがきっかけでした。おそらく既にはじめから肺に転移があったものと思われます。

転移が判明してから父が受けた”医療”が私に大きな影響を与えて現在に至っています。

がんはあっという間に勢いを増して最悪の状態となり、転移巣は肺に30個くらいにまで増えました。私が大学1年生の6月には、素人が見ても肺のレントゲンは左右とも大小さまざまな大きさの白い影でいっぱいでした。

75キロあった体重は60キロとなり、やせ衰えて弱々しく、昼間でもすぐにいびきをかいて寝てしまうようになりました。
そのころ、医師から「あと数週間くらいでしょう」という余命宣告を受けたのです。

信じられないかもしれませんが、父はその、絶体絶命の状態から、奇跡の復活を遂げました。

母が、何とかして父を助けたいと、様々な治療法を探してほうぼうをあたり、いろいろな治療を試したのです。一時退院したときや、入院中には外出許可を貰って治療を受けに行きました。

今にも亡くなるかと思われた父は8月に入ると急に食欲が出て、元気になってきました。肺の転移巣も日に日に小さくなって消えていったのです。

あまりにも劇的な回復を見せた父に、主治医も、受け持ちの先生方もびっくりしていました。

“病院始まって以来のミラクル”と言われたほどです。そして、日々縮小していく病巣の確認のために1日おきに胸のレントゲンを撮っていました。

主治医には別の治療を受けたことは内緒にしていましたから、しきりに首をかしげていらっしゃいました。

父のケースは、「インターフェロンとピシバニールの治療で劇的に回復した症例」として、学会で症例報告も行い、論文にまでなったと聞いています。

のちになって、告白することになりましたが、主治医には本当に申し訳ないことをしたと思っています。

父が受けた統合医療 

父はさまざまないわゆる“民間療法”(統合医療と呼べるものであったと思います)を試して完全治癒にこぎつけたわけですが、そのときに行った治療法の一つに栄養療法がありました。

まずは食事の改善として、ゲルソン療法を部分的に取り入れました。
後から思えば、母が必死に実行していたそれは糖質制限とタンパク質摂取、大量ビタミン療法(ビタミンA、ビタミンB1をはじめとするビタミンB群、ビタミンC)でした。


病院の傍に移り住み、新鮮なしぼりたての生ジュース(にんじん、レモン、小松菜など)をせっせと1日何回も届けました。

純粋なローヤルゼリー甘みのないヨーグルトも毎日摂っていました。母方の祖母が飲んでいた玄米酵素というものも飲みました。これらは腸内細菌を整えるのに役立ったはずです。

そして病院食では栄養が足りないからと、玄米ごはん、ほうれん草のおひたしや、野菜のスープ、煮物、ごま豆腐なども届けたのです。
私は朝、父の病室にそれらを届けてから大学に出かけるのが日課でした。母は毎日多くの食材を準備するのに大忙しだったと思います。

元気が出るようにと、父の大好物だったウナギの蒲焼きも病室に出前を取ったりしていましたが、後から考えるとこれはビタミンAとビタミンB1、そしてタンパク質と脂肪の補充におおいに役立ったのは間違いありません。

母にはまったく医学の知識もありませんでしたが、なぜあれほどまでに信念を持って突き進むことができたのか、不思議なほどです。父が87歳となった現在もまだ健在なのは間違いなく母のおかげです。

主治医との対立

実は母は民間療法を探して父に受けさせただけではなく、治療方針をめぐって主治医と闘いました。

主治医はあまりにも劇的な回復を遂げた父に、小さく残っている肺の転移巣の摘出手術をしましょうという提案をなさったのです。病巣は小さくなったものの、まだかなりの数を認めていたのですが、それぞれ核出する(その部分だけをえぐり取る)という説明を受けました。

腎細胞がんの転移巣は皮膜に覆われていることが多いため、核出術が有効であるとされています。転移巣が数個の場合、あるいは抗がん剤によって縮小した場合に体力に問題がなければ手術が行われる傾向にあるそうです。

当時は腎細胞がんの肺転移に対して行われる画期的な手術と言われたことを覚えています。

母は直感的に手術を選ばないという選択をして主治医と対立しました。転移巣の数が多かったこと、手術しなくても縮小傾向にあるということから、そのときに密かに行っていた統合医療の治療の可能性を信じたのです。

結果としてその判断は正しかったと思います。もちろん、核出術を受けていたらどうなったかは、試していないのでわかりませんが。

しばらくすると転移巣は消えて肺はすっかりきれいになりました。あのときの状況で、主治医の治療方針を拒否するという母の決断は、ものすごく勇気が必要なことだったでしょう。

主治医は批判することもなく、静かに私たちの決定を受け入れてくださいました。また、病院を追い出されることもなく、その後もずっと入院させて頂いたのです。

上でお話ししたように、保険診療のサイトカイン療法(インターフェロン投与)と非特異的免疫賦活薬(ピシバニール)、そしてゲルマニウム療法、リンパ球療法などの民間療法も併せて受けていましたので、何がどれだけ効いたのか今となってはわかりませんが、確実なことは転移巣がすべて消失して父が元気になったことです。

あまりに劇的な回復ぶりをみて、中には

「本当はがんではなかったのでしょう?」

という人までいました。
けれども、肺の転移巣について、細胞診までして病理医による確定診断が下っていますし、後に泌尿器科医となった姉が画像も含め、カルテもすべて確認しています。

コラム  母の行動力

父が試した治療法の一つであるゲルマニウム注射にまつわる話をご紹介したいと思います。

もうすでに35年が経過していますので、時効ということで、ここに書かせて頂きます。

母がゲルマニウムの注射薬をどこから、どのような経緯で手に入れたかは今はもう定かではありません。
薬を手に入れたものの、注射をしてくれる先生を探さないといけませんでした。

父にどうしても注射を受けさせたかった母は、信じられないような行動に出ます。

父は慶應病院に入退院を繰り返していましたので、私たちは信濃町に住んでいました。
母は近所の医院、クリニックに飛び込んでは、
「注射をしてもらえませんか?」と頼みました。
当然のことながら何軒も断られました。患者が持ち込んだ得体のしれない薬剤を注射してくれる医師などいるはずもありません。そこで、母は今度は
「注射器を貸してもらえませんか?」と頼んで回ったのです。
これもかなり無謀な話です。

もう無理だと諦めながらも訪れたある医院で、お歳の院長先生が話を聞いてくださったそうです。そして、何も言わずに”注射のセットを一つ下さった”のです。
きっと母の必死の様子に、何かを感じてくださってのことだったのでしょう。そして、優しく使い方を教えてくださいました。

母が注射器を持ち帰ってきたときのことを私は今でもよく覚えています。

今のように使い捨てのシリンジではなく、ずっしりとしたガラスの注射器でした。針も太い金属製のものです。それを煮沸して何回も使いますから、一つで大丈夫だったわけです。

母は父に注射をするようにと私に頼みました。大学1年生だった私は、注射などしたこともなく、知識も経験もまったくありませんでしたが、必死になって父に針を刺しました。
幸いなことに、父の血管が太かったおかげでほとんど失敗せず、そして何事のトラブルも起きることなく、何回も注射をすることができました。注射は夜寝る前にしていましたから、私は夜はお友達とご飯を食べることもなく、必ず早めに家に帰っていました。

今でも先生が下さった注射器のことを思い出すと、その時に感じた嬉しさがこみ上げてきます。

もし何かあれば責任を問われるかもしれないこと、素人に医療器具を渡して、医療行為を黙認することを、躊躇することなくしてくださったその先生に、医師として患者さんと向き合う姿勢、温かさを教えて頂きました。

患者の家族の立場から、そのときの状況を考えると、私たちの気持ちに温かく寄り添って下さったと強く感じるのです。

四谷三丁目からほど近いその医院の優しい先生に、いつかお会いしたい、父の回復のご報告とお礼に伺わなければと思っているうちに時が過ぎてしまいました。申し訳ない気持ちでいっぱいです。

医院はすでに息子さんが跡を継いでいらっしゃいます。

母が注射器を頂いたのが1985年ですが、院長先生が交代となったのが1989年だそうです。もしかしたら先生はもうお亡くなりになっているのかもしれません。

人は1人の力で生きているのではなく、多くの人に支えられて生きていると強く思います。
人とのご縁も大切です。

T先生とのご縁に心から感謝しています。

現在の院長先生は、なんと、私と同じスウェーデンのカロリンスカ研究所に留学なさっていたとのこと。私がスウェーデンから帰国したらご挨拶に伺いたいと考えています。

父の闘病からの学び

私が父のがん闘病を通して学んだことがたくさんあります。これらのことを私は今まで栄養療法とともに患者さんにお伝えしてきました。

標準治療を優先する

まずは、標準治療を優先して受けることが大切です。

父も原発巣の手術を受けました。そして、当時の標準治療であったインターフェロン、ピシバニールも受けています。この治療がなければ、いくら多くの治療を受けたとしても回復することはなかったでしょう。父が受けることを拒否した転移巣の核出術はまだ標準治療ではありませんでした。
効果があるとわかっている標準治療をはじめから投げ出すのはいけません。

主治医を選ぶ

主治医を選択する、ということも大切です。

病院が有名だからそこの先生なら誰でもよい、ということはありません。その病気のスペシャリストであるかどうかは今の時代、素人でもある程度調べることができます。また、先生との相性も大切です。身体の病気であっても、精神的なサポートが必要になることが多いのです。

理想的なのは、何でも相談できるかかりつけの先生を決めて、何か大きい病気になったときにはその先生に調べて頂き、紹介状をお願いするという形でしょう。

セカンド・オピニオンをとる

あれこれ迷ったときには、セカンド・オピニオンをとることも大切です。昔と違って、主治医も患者がセカンド・オピニオンを希望すれば診療情報提供書を書いてくれます。

もし、書くことを拒むような主治医であれば、それは自分の治療に自信を持っていないことになります。遠慮せずに主治医にお願いしてみてください。

第三者である専門医に、客観的な立場から状況を判断してもらうことは治療選択を誤らないための手段となります。

ただ、ここで気を付けなければいけないのは自分にとって心地よい意見を言ってくれる医師を求めて何回もセカンド・オピニオンを取ってさまよう場合があることです。セカンド・オピニオンではなく、3rdオピニオン、4thオピニオンと病院を回る人もいます。

さらには、責任のない医師からとんでもない治療を勧められて大金をはたいてしまうようなこともあります。遺された遺族が困窮するようなこともあるのです。

このようなトラブルを避けるためには、セカンド・オピニオンは、偏りの無い意見を提供してもらえるように、しがらみのない病院のセカンド・オピニオン外来で受けることをお勧めします。

その他の心得

これらのことを実施したうえで、さらに頭に入れておかなければいけないのは、

主治医が常に正しい訳ではない
西洋医学は絶対ではない
一般的に認められていない治療であっても効果があるものが存在する

ということです。

ですから、患者さんは自分で勉強し、知識をつけて正しいと信じる道を選ばなくてはいけません
それは標準治療を受けたうえで「保険診療以外の統合医療を受ける」ということかもしれませんし、手の施しようがなくなった場合には「治療をしないという選択をする」ことかもしれません。

私の母が父の闘病に際してしたことは、病院の前の本屋さんに行って、片っ端から癌治療関係の本を買って読むことでした。紹介されていた多くの治療法の中から自分が良いと考えたものを選んだのです。

素人であった母の行動から、私は多くのことを学びました。

もうダメと言われてもあきらめないでほかの治療を試してみるとよいこともある、ということも母から学びました。

夢を抱きすぎではいけませんが、無理のない範囲で副作用のない、そしてお金があまりかからない方法であれば誰でもが試してみることができるでしょう。栄養療法はこの条件にぴったりとあてはまっています。

栄養療法は、標準治療と並行して行ってもその効果を邪魔しないという利点があります。ビタミンCなどは、化学療法や放射線療法の副作用を軽減し、効果を高めるということがわかっています。ぜひはじめから実行して頂きたいと思います。

新井圭輔先生との出会いと教え  糖質制限

私は、当時父が受けた治療法は効果があると信じていました。そしていつかその治療について勉強してみたいとずっと考えていたのです。

栄養療法を志した経緯 その1でお話ししたように、栄養療法の勉強を始め、インターネットであれこれ検索していたところ、新井圭輔先生と出会いました。先生との出会いは私にとって奇跡のようでした。勝手ながら運命的なものを感じています。

新井先生の下で糖質制限、高濃度ビタミンC治療、免疫賦活治療を組み合わせるがん治療、そして糖質制限による糖尿病の非インスリン治療、高血圧の動脈硬化治療を学ばせて頂いたことは私にとってとても幸運なことでした。

新井先生からは、まず、人の身体の中で活動するためのエネルギーを作り出すミトコンドリアのクエン酸回路(クレプス回路、ATP回路とも言います)を効率よく回すことが健康の基本であると叩き込まれました。

なぜ糖尿病患者ががんに罹り易いのか、それは糖質、インスリンが原因となるからなのです。
糖質はすべての炎症、病気の原因となり、またがん細胞のエネルギー源は糖質であることから、新井先生は明確な理論をお持ちで、次のような治療を基本となさっています。私はこれを新井理論、新井メソッドと呼ばせて頂いています。

新井メソッド


血管を健康にするための動脈硬化治療(高血圧治療につながる)
糖質制限によってインスリン分泌を抑える
エネルギー源はたんぱく質と脂質にする
クエン酸回路を回すために必要なビタミン、ミネラルを積極的に摂る
糖質制限を強固なものにするために運動する
糖質制限をサポートするための薬物学的糖質制限
がんには高濃度ビタミンC治療
がん治療のための免疫治療

これらはがんの治療だけではなく、健康増進と多くの病気の予防と治療のために役立ちます。

新井先生の免疫治療

新井先生が推奨なさっている免疫治療はなんと、父が以前受けていたピシバニールでした。ピシバニールを打って熱が高く出るとそれは効果が出ている証拠だとのお話に、父の劇的な回復の謎が解けたような気持ちになりました。

新井先生がピシバニールで効果をあげていらっしゃるということは、私にとって特別に大きい意味を持っています。

父にその治療を施してくださった主治医への感謝がより深まったのです。残念ながらすでに鬼籍に入られているため、お礼をお伝えすることはできませんが、本当に有難いことだったと思っています。

新井先生の高濃度ビタミンC点滴によるがん治療

新井先生は京都大学ご卒業後、京大病院、および他の病院で放射線科医としてがんの放射線治療を行っていらっしゃいました。そして実に今から20年以上も前、受け持ちだったがん患者さんにビタミンCの点滴をなさったのだそうです。

すると、骨に転移があって痛み苦しんでいた患者さんの痛みが取れて楽になり、病理医が転移の部位を確認すると、がん細胞は見事に死滅していたとのことでした。

そこで先生は、ビタミンCをがん患者さん全員の点滴に入れるようにと病棟の看護師さんにお願いなさったのだそうです。今ではそのようなこと(ビタミンCを勝手に点滴に入れること)はまず無理で、ビタミンC欠乏症という診断が必要かと思われますが、以前は治療の管理が“ゆるい”状態だったのでしょう。もちろん、ビタミンCですから、患者さんにとってはメリットしかなかったことは言うまでもありません。

はじめは嫌がっていた看護師さんでしたが、試しにビタミンCを点滴に入れた患者さんが皆、痛みを訴えなくなり、とても安定するのをみて、
「患者さんがこんなに楽になるなら入れてあげるわ」
と言って協力してくれるようになったとおっしゃっていました。

新井先生は開業なさった後、ご自分のクリニック(郡山のあさひ内科クリニック)でがん患者さんを治療し、奇跡の復活者をたくさん出していらっしゃいます。
先生のクリニックには全国から患者さんが治療を求めて訪れています。また、先生は週に一度東京(上中里醫院)でも診療なさっています。

新井先生のご指導を受けながら、私はさらに深く分子整合栄養医学を学び続けました。

分子整合栄養医学

栄養医学は、日本では古くは三石巌先生が分子栄養学(現在では三石理論と改名)を提唱したところから始まりました。三石先生は物理学者であり、医師ではありませんが、健康のための栄養素の重要性について研究をすすめ、亡くなる前の数十年は分子栄養学に没頭され、多数の著書も出しています。

三石理論は栄養医学の基礎となるものだと考えますが、

「高たんぱく」
「高ビタミン(メガビタミン)」
「活性酸素の除去」

の3つが重要だと説いています。身体を構成するために必要な成分(栄養)は何かということに重点をおきます。

栄養については日本で必要摂取量として定められている量、つまり食事で摂取できる量ではまったく不十分で足りないということを実感し、愕然としました。健康を維持するためには信じられない量のメガビタミンを摂取する必要があるのです。食事だけでは到底まかなえないと感じました。
サプリメントの摂取、さらにすでに病気になってしまっている人には点滴治療が有効だと考えるようになりました。

そして栄養点滴について学ぶために点滴療法研究会に入会したのです。研究会ではアメリカ、カナダから導入された積極的な点滴による栄養療法を学んでいます。

また、Abram Hoffer博士、Andrew Saul博士らの著書を読み、統合失調症に対するナイアシンとビタミンCの栄養療法、ナイアシンの効果、栄養をサプリメントで大量摂取すること(メガビタミン)の重要性、ビタミン類の必要摂取量には個人差があることなどを学び、ますます分子栄養療法にのめりこみ、とうとうクリニックを開くことになったのです。

私がクリニックを開いた直後、父の2回目のがんが発覚します。
非常に悪性度の高い耳下腺がんでした。
これをまた高齢の父は克服することになるのですが、こちらについては次回お話ししたいと思います。

私の栄養治療

三石先生の推奨する治療(プロテイン摂取、メガビタミン摂取)を取り入れました。
活性酸素除去のためには、最高であると私が確信した水素吸入
さらに糖質制限、温熱療法も組み合わせました。
また、腸内細菌を整えるためのサプリ(プロバイオティクス)も追加しています。
さらに、特殊な例では、私が長年使用している光線治療も行います。
もちろん、これらに加えて運動が重要なことはいうまでもありません。

患者さんにはこれらすべての療法を押し付けるのではなく、健康増進のために取り入れることが可能なことを無理なく実施して頂くようにお願いしています。

健康のための宮川式統合医療

 タンパク質摂取
 メガビタミン摂取
 プロバイオティクス摂取
 糖質制限
 水素吸入
  (吸入が不可能である場合には水素水)
 温熱療法
 光線治療
 運動療法
 免疫賦活療法
  (がん患者さんへのピシバニール注射)

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